top of page

河井継之助

人間はその現実から一歩離れてこそ物が考えられる。距離が必要である、刺激も必要である。愚人にも賢人にも会わねばならぬ。じっと端座(たんざ)して物が考えられるなどあれはうそだ

 

俺は知識を掻き集めてはおらん。
せっせと読んで記憶したところで何になる。知識の足し算をやっているだけのことではないか。知識がいくらあっても時勢を救済し、歴史を立ち直らせることはできない。
俺は知識という石ころを心中の炎でもって溶かしているのだ。

 

男子が男子たる所以は、志の有無にある。詩が貴く絵が貴く、礼楽が貴いのは、それによって男子の志を述べるからであり、それをもって男子の志を養うからである。

 

「世は、絵で言えば一幅の画布である。そこに筆を挙げて絵を書く。何を描くか、志を持って書く。それが志だ。」

継之助の志とは、男子それぞれが持っている人生の主題(テーマ)というべきものであろう。どうゆう絵を描く、ということになれば主題があらねばならない。その主題をどのように描くということになれば工夫(モチーフ)が必要であろう。主題と工夫というのが、継之助のいう志という意味であるらしい。

 

即決対処できるには自分自身の原則を作りださねばならない。その原則さえあれば、原則に照らして矛盾の解決ができる。原則を探すことこそ、俺の学問の道だと継之助はいう。それが、まだ見つからぬ。

 

「鴉を、知っているか」
この鳥が他の鳥と違っているのは、常に太陽に向かってまっしぐらに飛ぶところである。鴉は、朝は昇ってゆく朝日に向かってまっしぐらに飛び、夕は、沈んでゆく夕日に向かって目をそらさずに飛ぶ。鳥の種類は幾万幾千あるか知れないが、太陽に向かって飛びうる鳥は、鴉のほかない。
「俺は、そう心掛けている」
継之助のいう意味は、自分の決めた生涯の大目的に向かって目を逸らさずに翔び続けようということなのであろう。

2601 Mission St. San Francisco, CA 94110

+1 800 000 0000

  • w-facebook
  • Twitter Clean
  • w-googleplus

© 2023 by John Smith

bottom of page